訃報の話が・・・
東京組のS君と電話で話しているときに、「AI澤」君の訃報を知らされた。8月だという。
昨年11月の「喜寿同級会」には欠席のハガキを貰ったが、そんなに早く逝くとは。
資料を取り出してじっと見る。なるほど震える字で返事を書いてくれていた。
「・・・・体力をつけるのに大変だよ。皆様に逢いたい。俺も頑張る。みんな楽しい一夜にして下さい。よろしく。」とあった。
彼は大変な頑張り屋さんで、通学路は山道で、滝下を通り、山の峠を越えて、大芦集落を抜けて、また2つめの峠を抜けてゆく、ヒト一人がやっとという細道を通学していた。自宅が隣町の、名前からして標高が高そうな富士という集落。
そこから距離にして片道二里ほどだ。
だいぶ前の同級会で会ったとき、「甥が隣町で畳屋さんを立派にやっているから、よろしく」なんて、親類のことまで心配している、優しい人だった。
毎日高い滝下の峠を越えて通学していた。上の絵でいうと、峠はこの写真手前の右手にあり、この写真を撮った高さと同じくらいの標高。彼は毎日、朝夕このような景色を見ながら通っていたのだろう。
(その通学路は、今はもう、雑草と枝木が生い茂って、峠の登り口まであった田んぼも荒れ果てて、早春たまに田んぼ跡のあぜ道に出る「アサツキ」を採りに行くだけだ。
当時からその道は、ほとんど人の行き交いは少なく、彼と猪俣君のお母さんが大きな荷物を背負って、行商に使っていたくらいしか覚えていない。帰路そのお母さんがウチの入り口で、お茶を飲んだり、世間話をしたりしている姿をまだ覚えている。)
とっても残念です。ご冥福を衷心よりお祈りします。
同級生の皆さん、これから寒さが増すばかり、そのうえなお留意しなければならないのが、「コロナ」。
どうぞ、油断召されるな。頑張って下されよ。そこも心より祈念しております。
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