街ではコロナ、山ではマムシ
そろそろ薩摩芋植えの準備で畑の整地を、と思って、ついでに山菜をと収穫に出かけた。
このところ、会津若松ではコロナが蔓延して大変なことになっている。数字的には東京より上の、大阪市に匹敵しているという。医療も逼迫しているんじゃないかと思う。大きな病院でも、最近子どもの調子が悪くて受診した人の話では、駐車場に診察の受付があって医療者は防護服で対応していたという。
そのうえ、喜多方でも知人の隣家で感染者が出たと、今日聞いた。
だから主治医の「山はいいよ。コロナはヒトからしか遷らないから、農作業や山菜採りは大丈夫」という言葉に背中を押されて、青空の下、気分良く出かけたが・・・・。
楽しみにしていた山菜採りは、思った通りの成績だったが、ナント、出会いたくないモノに会ってしまった。(気持ちが悪い人も、と思ってボカシを入れておく)
ワラビがいっぱい出ていたので、目をあちこち飛ばしながら手を伸ばしたら、3,40センチ先に、変な固まりが・・・・。すぐにピンとこないで、2秒ほどのタイムラグがあり、「うぇっ!、マムシだ!!!」と、慌ててのけぞった。
( 地区に残る掟「後の被害防止のため必ず退治せよ」に従ったが、2日後に確認したらもう跡形無し。処理者はトンビ・クマ・イノシシあたりか?? )
大体、こんな早い春先に、マムシになんか会ったことがない。(いや、思い出したが、会った、会った。会ったことがある。ウド採りに行った高い山腹ででかいのに会ったっけ。)
油断していたよ。やっぱり街でも山でも、どこでも緊張感は持っていなくちゃね。
オレも、
「山道を登りながら、考えた。
街ではコロナ 山ではマムシ、どこに行っても危険が大。
とかくこの世は住みにくい。」と、
漱石先生のマネをしたよ。
マムシと濃厚接触の経験多数
思えば昔から、あわや! の瞬間が多かった。
・10代の頃、養蚕のために桑の枝を早朝剪っていたとき、夏だったから素足にゴム草履を履いていて、フト足下を見ると、ぶっとい奴がとぐろを巻いてすぐそばにいた。その太さは、生け捕りしたそいつを、1升瓶に入れようとしても太くて入らなかったから、わざわざ広口瓶を探して入れたほど。(今思ってもぞっとするよ)
・山菜やキノコ採りを覚えてから、会うのが格段に多くなった。松茸は岩山に多く出るから、確率は高いよ。30年程通った松茸山、最初の半分ほどの年は、毎年、行くたんびに出会っていた。そのうち忘れられないのは、小さい松の下に「アッ、大きい松茸が!」って、喜んで近寄って手を伸ばそうとした時気がついた。でっかい黒マムシがトグロを巻いてこっちを見ていたこと。
不思議なことに、後半分の年の頃から最近まで、行ってもほとんど出くわさない。なんでだべ。
・高郷でもあちこち松茸採取しているが、彼らとは3カ所で会っている。一度などは、急斜面の痩せ尾根を登っているときに、目の前にいたから、引き返えそうとしたら、ナント追っかけられて、急いで逃げ切った。
・これも高郷。秋の松茸採取で、直登に近い岩山のガレ場を、両手両足を使って登っていた。岩の角に手をかけて体を引き上げたら、すぐ目の前に、トグロを巻いた奴が、その岩で日向ぼっこしていたよ。あ、このヤローと腰のナタに手をやったら、その動きに反応したのかビックリしてなのか、スルスルと向こうの方に行ってしまった。ナンしろロッククライミングの最中で、片手しか使えなかったから、どうしようも無かったね、飛びかかってこなかったのが幸いしたよ。
・その他、草刈りなど農作業中の遭遇は数え切れない。寺の境内に全国でも珍しいと思える「長虫供養の碑」があるほどだから、昔から多いのだろう。地形が適しているのかな。下郷町の塔のへつりも、多いようだが。
・予防として、「藍染めの衣類」は奴らが寄ってこない、と年寄りに聞いていたが、そのためか、昔から作業着のサッパカマや上着は、会津木綿の藍染めだよなぁ。
・振り返ってみると、ただ単に「運が良かった」のだろう。それこそ明日からも遭遇の危険があっても、作業をする・しなくちゃならないのだから、緊張感を忘れずにいなくては。
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