会津藩は領民や江戸の民に手厚い福祉を
実施した、という話を読んだり聞いたりして、私は非常に誇らしく思うし、同級生の皆さんにも知ってほしいと思う。
藩祖、保科正之の施策を見ると、
1.飢饉に備えて、「社倉」設置 (いわば日本で最初の「共済制度」)
2.殉死の禁止
3.老養扶持の施策(日本で初めての国民年金制度といってもいい制度)
4.産子殺し(間引き・幼子殺し)の禁止
5.明暦大火のとき、大名の米倉を開かせ、江戸市民のお救い米とする
6.大火で焼失した江戸城天守閣を再建する代わりに、江戸市民に金銀を支給した
7.玉川上水の開削
8.その他
(郷土講座 「会津藩の福祉」 川原太郎氏 )
(「名君 保科正之」 中村彰彦 著 河出文庫)
(「名君の碑=いしぶみ」 中村彰彦 著 文春文庫)
(「保科正之」 中村彰彦 著 中公新書) から
400年前に、こういう福祉の心を持った藩主がいたことには驚く。なんでこの名君が歴史に埋もれているのかというと、歴史家の先生方は言う「薩長史観のせいだ」と。
「歴史は勝ったものが作る」のだと。まさしくその通りだろう。戊辰戦争で負けたそのせいで、この素晴らしい名君の輝きは、墨を塗られたのだろう。
現代にも、態様は違っても、いろいろな問題があり、少しでも応用できないかと考えた。そして、昨年、そのような集まりに問題提起してみたが・・・・。・・・(無反応)
現代で、このような問題を解決する手段にならないかと。
もちろん、当時と今の情勢体制等、大きな違いがあり、バックボーンの儒教・朱子学なんていうのもないし、無理筋な事は十分わかっているけれど、先賢の、市民へのなんとかしたいという思いだけでも、今に引き継げたらなぁ。
という昔の清廉潔白な会津藩の福祉政策の一部を、ある賢明な方々にお示ししたのですが、大海に小石ひとつの波にもならず、残念でした。
0コメント